アリストテレスの「ニコマコス倫理学」を読んだことがあるだろうか。
倫理学を確立した本で、後世にも多大な影響を与えたスゴい本である。
「今回はこの本をわかりやすく大解説!」と言いたいところなのだが、アリストテレスの名著を解説するなどというのは僕の能力を大きく超えており、手に余る大仕事となってしまうので、アリストテレス先生が言っていることのほんの一部を自分なりに解釈して、最近気づいたことを簡単に書いてみたい。
注)筆者は一読者として哲学書を楽しく読むタイプですが、専門家ではなく、また本稿はあくまで筆者の考えを伝えるために本を導入として活用していることもあり、正確な解釈ではない部分があると思います。予めご了承ください。本の内容をちゃんと知りたい、という方は、原典もしくは専門家の解説等をご参照ください。
知のタイプ
ニコマコス倫理学の第六巻 第三章に、人間の「知」を類型化して説明しているパートがある。その中で、「エピステーメー」と「フロネーシス」という概念が出てくる。
(他にも、テクネー/ソフィア/ヌースなる概念も出てくるのだが、ただでさえややこしいモノが更に複雑になるので、今回は割愛。)
ざっくり理解すると、エピステーメーは学問的な知を、フロネーシスはより実践的な知を指しているらしい。
僕にとって、エピステーメーは結構理解しやすい。いわゆる、僕らが普段「知識」と言っているものに非常に近いと考えられるからだ。アリストテレス先生は多分もっと厳密な意味で使っているけれども。
ではフロネーシスとは何かというと、1つの知識や体系を指しているわけではなく、何かに取り組む時に総体的に発揮される知のことを指しているみたいだが、何だかエピステーメーと比較してピンときにくい。「知」という言葉から僕らが普段イメージするものと、少し離れているような気がするのだ。
慣れない用語ばかりで込み入った形に見えてしまうかもしれないが、要するに僕が伝えたいのは、「揺るがない知識としての学問的な知と、実践的な知という対比」である。
なんとなくフロネーシスを感じる
そんな(少なくとも僕にとっては)ピンときにくいフロネーシスだったが、最近かなり現実的なシーンとの結びつきに気づき、その重要性を自分なりに理解できたと感じられることがあった。
それは、「ビジネスパーソンとしての価値発揮の方法」との結びつきである。
これまで、ビジネスパーソンはある領域の知識や知見(上記分類でいうとエピステーメー)を深めることで、大きく価値発揮につなげられることが多かった。何故なら、そういった知識や知見は簡単に得られるものではなく、共有化できる範囲も限定的だったからだ。
しかし、当然のことながら、今はネットで調べれば一発で知識を得られる。あらゆる知識や情報が共有化されたプラットフォームが誰にでも利用できるようになっているのだから、やる気と時間さえあれば誰でも1つの領域に深い知見を得ることができてしまう。
また、それに伴って知識や情報が陳腐化しやすくなっており、1つや2つの領域に詳しくても、それで一生食うに困らないということはなかなか難しくなっている。
では、そんな中でどうやってサバイブしていくかが、僕を含めた多くのビジネスパーソン達を悩ませている大きな課題だと思うのだが、「あれ、この時に役立つのがフロネーシスか?」とようやく気づき始めたのだ。
ビジネスパーソンにとっての実践的な知とは
では、僕たちの仕事を考えたとき、フロネーシスとは何に該当するのか。
僕なりのユルい解釈では、多分それは「文脈に沿った特殊解を出し続ける」ということではないか、と思う。
つまり、例えば「こうすると普通は売上が上がるよね」という抽象化した経営理論やフレームワーク的なものが「一般解」だとすると、「そうはいっても個社の事情がある。本当にこの会社が売上を上がるにはどうすべきか?」を問うて現実的な打ち手を考えていくのが「特殊解」であり、前者ではなく後者がビジネスパーソンにとっての実践的な知で、今後求められること(実際には、おそらくこれまでも多分に求められていたのだけれども、今後は更に求められること)だ、ということである。
こう書いてみると、当たり前じゃん、という話で、いわゆる世間で仕事ができると言われている人は当然こういったことを問い続けているのだろうと想像がつくのだけれども、改めて肌感覚でその重要性が理解できたことは、僕にとってとても大きな一歩だったのだ。
改めて考えてみると
そういった視点を持ってみると、MBAコースで行われているケースメソッドは、これから経営者やそれに近いポジションで働こうとしている人が、経営者的フロネーシスを体感し身につけようとするには、いい方法なのかもしれない。
ただし、これも想像に過ぎないのだけれど、おそらく本当の経営者の仕事に代わる経験はなかなかし難いもので、やってみないとわからない(本当に求められる実践知が掴みきれない)ことも沢山あるのだろう。
「実践知」というからには、それを鍛えるためには、その定義からして「実践」が一番の題材であることは動かないのだろうけど、そうはいっても他に良い題材はないのかということで、ケースメソッドだったり、経営者が好む傾向にある本だったりが、話題にあげられているのかもしれないとも思う。
実践知を鍛えるのは難しいけれど
実践知は、僕らが通常イメージする知識や情報のようにわかりやすいものではないので、その鍛え方もなかなか形式化はしづらく、捉えにくい。
ただ、常に意識を持ち、考え抜くことを徹底することは欠かせない、ということは言えるのでは、とも思う。
特殊解を出し続けるということは、目の前の状況を腰を据えて把握して考える必要があるので、少し前に公開した「持たざる者のキャリア論」で書いたことともつながるのだが、やはり1つ1つの経験に呼応して深く考えるということが非常に重要になってくると考えられるからだ。
まだまだ気づきの段階であり、もっと深堀りの余地や自分なりの鍛え方をしっかり考える必要はあるが、持たざる者としての僕なりの鍛え方が、実践知を磨くことにも多分つながるのではと考えながら、更に学びを深めていきたい。
参考図書:岩波文庫 ニコマコス倫理学(高田三郎 訳)