僕は最近、物事の学び方には2つのタイプがあるのではないか、と考えていて、今回はその話を簡単にまとめて見たい。
その2つのタイプを、タイトルにもある通り、僕は「加算的学習」と「乗算的学習」と勝手に名付けている。
このタイプ分けは、アカデミックな知識や理論に裏打ちされたものではなく、僕自身の経験から導き出した仮説なのだが、割と色々なことに当てはまるのではないかと思う。
「加算的学習」とは、例えば資格試験や受験勉強など、既に学ぶ内容や学び方が規定化・体系化されているタイプの学習だ。
このタイプの学習は、基礎からしっかり積み上げて勉強していけば、着実にステップアップして学びを獲得していけることが大きな強みであり、積み上げ型の学習方法であることを踏まえて「加算的学習」と呼んでいる。
達成すべき目標が明確である場合には、手順を間違えず、かつ必要な時間と労力を投下すれば、目標達成に至ることができる可能性が高いだろう。
これとは別に、「乗算的学習」というタイプの学習もあると考えている。
乗算的学習とは、簡単に言うと、自分なりの軸なりテーマなりに沿って、領域横断的に学んでいく学習スタイルのことである。
加算的学習のように着実な積み上げにはなりにくいが、すでに体系化された領域を学ぶだけではなかなか意識にしくい、複数領域間のつながりに気づくことで、どんどん点と点を結びつけて、学びがネットワーク的に広がっていく特徴がある。
積み上げで知識が積み上がっていくわけではないが、学びの量がある一定の閾値を超えると、一気に自分の中に独自の知的ネットワークが構築され、物事がわかってくるということを踏まえて、「乗算的学習」と呼んでいる。
加算的学習=学び?
僕が思うに、一般的に言う「勉強する」や「学ぶ」という活動は、加算的学習を指すことがほとんどだ。
資格を取るために勉強したり、仕事で必要な知識をつけるためにスクールに通って学んだりしている人を見ると、周りは「すごい勉強してるね」と言う。
一方で、自分の関心のあるテーマや領域を勝手に自己駆動的に掘り下げていく行為(=乗算的学習)を見ても、「あの人すごい勉強熱心だね」と言う人は比較的少ない。
つまり僕が言いたいのは、加算的学習と乗算的学習という2つの学習タイプが世の中にあると仮定すると、加算的学習に重きが置かれ過ぎているのではないか、ということだ。
2つのタイプとも、新しい知識を獲得したり、自分を高めていったりするという意味では、変わらないはずなのに。
加算的学習は苦手だが、乗算的学習は割と得意
僕自身、加算的学習は苦手かつ嫌いである。
ハマると面白いこともあるのだが(例えば、受験勉強ではたまたま英語にハマれたので乗り切れた)、それはかなりの例外で、大抵の加算的学習はやりたくない。
僕も以前は、加算的学習でなければちゃんとした勉強ではない感じを抱いており、頑張って(加算的な)勉強を頑張ろうとしていたこともあったが、段々と向いていないことがわかってきて、最近は諦めて加算的学習は必要最小限に抑えることにしている。
一方で、乗算的学習は割と得意かつ好きである。
何しろ、そもそも面白そうだったり学んでみたいと思ったことを軸に勉強しているのだし、加算的学習と違って「これを学びなさい」という人から押し付けられるパッケージみたいなものもない。
テストの合否や点数のような、外的な指標で無理に学習成果を図られることもなく、自分が学びたいと思うことを納得いく水準まで学ぶことができればOKなのだ。
課題提出を求められない自由研究のようなもので、気楽かつ自由に、自己駆動的に取り組めることが性に合っている。
乗算的学習のメリット
そして、自分勝手に学んでいく乗算的学習は一見役に立たないように聞こえるかもしれないが、乗算的学習の方が実はメリットが多いのではないか、というのが僕の考えだ。
メリットは大きく分けて2つある。
1つ目のメリットは、「独自性につながる」ということだ。
加算的学習は、一般的に体系化された内容をステップバイステップで学んでいくので、(特に基礎的な内容を)着実に学んでいく際には効率が良い学び方だが、一般的に体系化されているということは、裏を返せば誰にでも同じように学べる、ということでもある。
つまり、加算的学習をすると、他の人と同じフィールドに立つことはできても、その中での自分の差別化にはつながりにくいのだ。
(もちろん、とんでもなく高いレベルまで突き抜けたり、異分野を掛け合わせることができたりすると差別化になるが、それはもはや「一般的に体系化された内容」からは離れているし、あまり話をややこしくしてもポイントが伝わらないので、一旦ここの深堀りはやめておく。)
一方で乗算的学習は、そもそも一般的な分野/領域分けを基準に学ぶわけではなく、自分なりのテーマなり切り口なりで、興味の赴くままに学んでいくので、当然のことながら結果的に他の人と違う学びを得られていることになる。
完全に同じ視点を持っている人はいないので、世界を内的基準で切り分けて学んでいくことは、何よりも差別化につながるはずだ。
2つ目のメリットは、「どんどん高みに行ける」ということだ。
乗算的学習を続けていると体感することがあるのだが、自分なりの興味や切り口で物事を学んでいると、段々と色々な点が結びついてきて、ある時一気に地平が開ける瞬間がある。
そうすると、更にどんどんと新たな疑問や興味が湧いてきて、もっと学んでいく。そして、また点と点が結びついて、また自分の中に新たな知的ネットワークが気づかれていく。
こういった形で、(それこそ、「乗算的に」)知識や気づきが広がっていくこと、そしてそこに明確な天井がないことが、乗算的学習の大きなメリットだ。
これは、多くの場合、加算的学習が外発的動機に依拠する割合が大きい一方で、乗算的学習が内発的動機にそのほとんどが依拠していることとも深く関係している。
要は、誰に何を言われようが、自分が面白くて学びたいと思っているから学んでいるからこそ、どんどん広がりと深みを持って学んでいける、ということである。
加算的学習を全否定する必要はないけど
乗算的学習の礼賛になってしまっているが、「加算的学習を今すぐ捨てろ!」とか言うつもりは毛頭ない。
例えば、英語を学ぶ上で最初に基礎的な単語と文法を身につける必要があるが、これは加算的学習で勉強した方が効率が良い。
要はケースバイケースであり、使い用でもあるのだが、僕が言いたいのは加算的学習「だけ」が勉強である、という考え方はやめて、乗算的学習も良いものだ、と理解して自分の性に合った学び方をしていこうよ、ということである。
以上が、加算的学習が苦手&嫌いな僕の自己正当化ロジックなのだが、他の人たちはどう考えているのだろう?
ぜひ意見を聞いてみたい。