向かうべき方向の定まっていない積み上げはつらい
千里の道も一歩から。全てのことは、一歩一歩の積み上げの先にあることは、疑いようのない事実だ。
一方で、この「一歩一歩」が意味を為すのは、どこに向かって歩いているのかがわかっているからである。方向もわからず歩いているのは、単にブラついているだけだ。
そんなの当たり前のことなのだが、僕自身も含め、僕が観察できる範囲にいる多くの人は、仕事や勉強など何かしらのことに取り組んでいる際に、ついつい方向性がクリアではないのに一歩一歩を積み上げてしまっている状態になることが多くあると感じている。
例えば卑近な話では、会社で週次の会議を実施していて、来週に向けて準備する必要があるとする。
そうすると、ついついPCでPower Pointあたりの適当なアプリを開いて、前回の会議資料をコピペしてちょこちょこ資料を作り出したりするのはよくあることではないか。(僕もよくやる。)
そんな感じで「成りの形」で準備をしていると、一応それっぽい資料が出来上がり、なんとなく会議も乗り切れたりするのだが、そんな時いつも僕は「これでよかったんだっけ?どれだけの意味があったのか?」と思うのだ。
積み上げ思考の引力
僕はこの「ついつい積み上げ思考で物事を進めてしまう」現象のことを「積み上げ思考の引力」と呼んでいるのだが、自分の生産性を高め、自分の時間を自分の手に取り戻すためには、この引力に抗うことが非常に重要だと考えている。
放っておくと勝手に積み上げ思考になってしまうので、意識的に積み上げ思考から離れる必要があるということだ。
では、積み上げ思考の反対は何か?
僕の考えでは、それは「逆算思考」である。
逆算思考とは、何を成すべきか(目的)を自分で考え、その目的に達するために必要なこと(タスク)を逆算して設定し、実行する考え方のことだ。
逆算思考ができていれば、冒頭で挙げた会議の準備のような話は起きることはない。
目的達成のために必要なタスクを設定しているので、少なくとも無駄なことをやっているのでは?という疑問が出ることはないはずだ(もちろん、タスク設定のセンスが悪くて結果的に無駄になる、ということはあるかもしれないが)。
ではなぜ、僕などはついつい積み上げ思考の引力に巻き込まれてしまうのか?
逆算思考の方がベターなはずなのに?
その問いに対する僕の仮説は、
・積み上げ思考は現状維持が基本だが、逆算思考は結果にコミットし、時には現状に変化を起こすことが求められるから
というものだ。
結果にコミットしないと、逆算思考はできない
逆算思考には結果にコミットすることが求められるとはどういうことか?
簡単なケースとして、大学受験の勉強を例にとって考えてみよう。
大学受験においてコミットすべき「結果」とは、ほとんど全ての人にとって「自分の志望している大学に受かる」ことだろう。ここでは仮に、とある学生Aさんが〇〇大学を志望しているとする。
そうすると当然、Aさんは〇〇大学に合格するためには何が必要かを考え、学習計画を立てる必要がある。
〇〇大学はいわゆる私立文系の大学で、入試には英語・国語・選択科目(世界史・日本史等)の3科目が求められると仮定すると、Aさんはその3科目をどう勉強していくかを考える、というわけだ。
もちろんその際、学校や予備校、先生や先輩の手を借りても全く問題ないし、多くの人はそういったサポートを受けているはずだ。
勉強した結果として、〇〇大学に合格できれば目的達成、不合格なら目的不達成で、残念ながら他の大学に進学するか、浪人するかという選択肢を考える必要がある。
こう考えると、逆算思考とはとってもシンプルな話だ。
にも関わらず、(僕が所属していた学校がそれほどの進学校ではなかったこともあるかもしれないが)僕が学生の時に観察できた範囲で言えば、こうしたシンプルなルールに則って動いている人はかなり少数だった。
多くの学生は、「自分の志望大学に求められる学力水準(というより、テストの点数)から逆算して勉強する」のではなく、「とりあえず中間・期末テストに向けて勉強したり、英単語帳や青チャートを買ってみて勉強してみたりする」ことを優先していたのである。
もちろん、中間・期末テストに向けて勉強したり、参考書を買って勉強すること自体には問題なく、むしろ志望大学の合格に向けて必要な勉強である可能性も高い。
僕が言いたいのは、「とりあえず手元にあるものからやる」のではなく、「目的を設定し、そこから逆算して必要な勉強に取り組むことができているのか」が重要である、ということだ。
結果にコミットすることには怖さがある?
ではなぜ、多くの学生は逆算思考で勉強を進めていなかったのかということなのだが、それは「結果にコミットすることには怖さがある」からではないかと思う。
僕自身も結果にコミットする際にはその怖さを感じるのでよくわかるのだが、結果にコミットするということは、その結果を果たす/果たさないというどちらの結論に対しても自分自身が責任を負う、ということになるのだ。
一方で、自分から積極的に結果にコミットせず、現状維持をしていれば、自分の乗っかっていた仕組みやルールに責任の半分くらいを寄せることができる。
元々の流れに乗っているという意識が強いので、「あの時自分があんな決断をしたから、こんな結果になっている」という思いを後でしなくて済む。
でも、自分から積極的に結果にコミット「しない」ということは、本来的にはある種その選択をしているということになるはずだ。
周りの皆がやっていたり、先生や先輩が言っていたから、なんとなく安心感があるというだけで、本当に自分の目的に合致していることなのかはわからない。
積み上げ思考に陥っている時には、あえて現状維持を選択しているのか?を問う
こういったことに気付いてから、僕は定期的に「自分はあえてこの選択をしているのか?もし今から選択肢をフラットに示されたとしても、このやり方を選ぶのか?」という問いかけをするようにしている。
この問いに対して自分の中で自信を持ってOKを出せれば、それは逆算思考で考えられており、自分が今取りうる選択の中でベストなオプションを取れている可能性が高い。
今の自分の行動が、積み上げ思考をベースにした行動なのか、それとも逆算思考をベースとした行動なのかは、単に行動という現象自体を観察しても判断することはできない。
同じ行動をしていても、なんとなく取り組んでいる場合と、明確な目的意識を持って取り組んでいる場合とでは、全く意味合いが異なるからだ。
そのため、こういった問いかけを定期的に行うことで、自己検証をすることにしている。
積み上げ思考と逆算思考。この考え方は僕がこれまでの経験で得た気づきを踏まえて大事にしている人生訓なのだが、これを読んでくれている方はどのように感じるだろうか?