本書全体を通じて提示されている、「自分自身の人生におけるダウンサイドリスクを受け入れて生きよ」というメッセージはとても共感を持てる。
特に次の3つのポイントは大きな学びだった。
1つ目は、「身銭を切る」ようになると、今まで無味乾燥に見えていたあらゆることが、途端に自分にとって意味のあることに変換されるということ。
例えば、学生時代に就職活動をしていてとても面白かった現象として、就職活動をし始めると急に猫も杓子も日経新聞を読み始めるというものがあるのだが、これは今までいくら読めと言われても全く意味を感じられなかった新聞が、職を得るという自分にとって重要なイベントに必要な情報だと理解したために、急に意味を帯びてきたということではないか。
(就職活動という今振り返ってみると比較的低リスクで失うものも少ないイベントではあるが、)自分の行動と準備次第で職を得られるかどうかが決まるという意味では、一定程度「身銭を切る」要素があるので、周りにあるものの見え方が変わってくるということだ。
習い事をすることの大きな効用として、一定のお金を投じているので学習効果が高まるということがよく言われるが、(マネー的な意味だけでなく)「身銭を切る」ことが、表面的な学習に留まらずに、いわゆる自身の血肉となるような学びにつながるということは、個人的に深く共感できる主張だ。
2つ目は、「身銭を切る」ことで、変に複雑なことを学ぶのではなく、シンプルかつ本質的なことを学ぼうとするようになるということ。
身銭を切るということは、現実に対処する必要があるということである。
現実は複雑で、かつ余りに多くのことが刻一刻と変化していってしまう。その全てを精緻に記述し、分析し、解決方法を探るということは難しい。複雑性を高めて、現実に起きること全てに精緻に対応しようとしている活動は、要は「地に足ついていない」と言える。
現実に対処するためには、シンプルだが本質的な思考ツールが必要であり、身銭を切っている人はそういったツールを嗅ぎ分けて獲得する可能性が高まる、ということだと僕なりに理解している。
この考え方は、いわゆる「ストリートスマート」という言葉と通ずる部分がある。
決してアカデミックな意味で優秀とは言えなくても、ビジネスや政治といった現実に対処することが求められる領域において類いまれな優秀さを持ち合わせている人のことをそう呼ぶが、本書の考え方につなげると、ストリートスマートな人たちは常に身銭を切っているからこそシンプルかつ本質的な学びを血肉にすることができている、ということだろう。
3つ目は、「身銭を切る」ことをせずに利益を享受できるようになると、堕落していってしまうということ。
1つの例として、本書でも会社勤めと独立して働いている人の対比が出てくる。
良い条件で会社に勤める経験をしてしまうと、会社に「飼われる」ような状態になってしまい、嫌なことや不自由なことがあっても受け入れて働くようになってしまう。結果として、1つの会社でしか働くことのできない人材となってしまい、自分がやりたいことを自由に取り組んだり、会社のやり方がどうしても自分の考えと合わなかったりした際に、会社を離れて生きていくことができなくなるということは、日本に住む僕達にも共通するパターンだ。
自分の行動・決断に見合うリスクとリターンがあることが、世の中の本来的なルールであり、そのルールに従って生きること(身銭を切ること)を忘れてしまうと将来的に「ツケを払わされる」ということであり、組織に所属することが良いかどうかは置いておいて、いつでも野生に戻ることを想定していなければならない。
他にも重要かつ独創的な主張が多く含まれており、オススメではあるのだが、1つ難点を挙げておくと、かなり読みにくい本だ。
著者の他の本もそうなのだが、かなり独特な文体であることに加え、異なる視点で書かれたエッセイが無理に1つの本として繋げられていると感じられる部分もある。
本を読み慣れている人や、根気強く本書を読み進める覚悟のある人は別として、ちょっと興味があるので呼んでみたいという人は通読を前提とせずに、関心の高いテーマを拾い読みしていくのがオススメである。