この本を読んで驚くのは、三島由紀夫の感受性だ。言うまでもなく表現力も頭抜けているが、やはりその感受性に圧倒される。
三島が訪れているのは、北米、南米、欧州といった場所だ。こういった場所に訪れる経験は、執筆当時では珍しいものだったかもしれないが、現代人にとっては特段珍しいものではない。それでも、こんな紀行文を書ける人は現代にはなかなかいないだろう。
何故なら、三島由紀夫が1つ1つの経験から感じ取っているものの広さと深さは、一般的なレベルからかけ離れているからだ。素材が同じでも、調理する人が違えばここまでアウトプットが変わるものかと驚かされる。
僕が繰り返し読んでいる本の1つに、ショウペンハウエルの「読書について」がある。その中に、三島由紀夫の紀行文を表すに相応しい一節がある。
「一人の著作家が読むに値するものをものする場合、材料に依存する度合が少ないほど、その功績は大きく、またそれどころか利用する材料が世間周知の陳腐なものであるほど、一段とその功績が大きい…」(読書について P.35「著作と文体」 ショウペンハウエル著 岩波文庫)
この本は、三島由紀夫が「何を」経験したかということよりも、むしろ「どのように」受け取ったかを味わう本だと思う。