世界的に有名な仏教学者である鈴木大拙による禅についての著書。「禅思想」「禅行為」「禅問答」という3つの章立てで、禅の古典を引用しながら禅の本質に迫る本格的な内容。(いかにも岩波文庫に収められていそうな本書だが、意外にも第1刷発行は2021年3月とかなり最近。)
一応禅を一般の人に解説し広めるために書かれた本のようだが、本格派ゆえに相当難解だ。難解なのは、鈴木大拙が世界レベルの仏教学者で適当な著作は残し得ないということに加え、禅という本書の対象そのものが直線的には理解できない(直線的に解説すると禅の本質から離れてしまう)ことも理由だろう。
僕も頑張って通読したものの、正直言って歯が立たない箇所が多くあった。禅についての周辺知識が不足していることに加え、禅の考え方にかかる本質を掴めていないことにより、(果敢に挑んだものの)跳ね返されてしまった。
そんな中でも、本書をインプットとして大きな学びを得ることができた。それは「本質は見えていないだけであり、本来は目の前にあるモノの中に本質が存在している」という考え方である。
是に由って観ると、達摩の考では、同一真性と名づくべきものが、万有の中に実在して居る。これを顕了しなければならぬ。但〻外来の妄想の塵で覆われて居るから、壁観と云う一種の修行法を以て、真性と冥符することを黽めなければならぬ。
(禅の思想 第一篇 「禅思想」より抜粋)
仕事においても、最近こういった感覚を得ている(ここまで高尚な話ではないが)。何か壁にぶち当たっているときに、下手に情報を増やしたりして強引に突破しようとすると、うまくいかない。
反対に、一度視点をステップバックし、そもそも今置かれている状況や、今本当にやらなければならないこと、あるいはジョブの真の目的を冷静に見つめなおしてみると、突破口が見えてくることがある。まるで答えは最初からそこにあったかのように。
多くの場合、情報が足りないのではなく、自分の視点に靄がかかっていて、ちゃんとものが見えていないのだ。1つの仕事に熟達していけばいくほど、どんどん無駄がなくなり、本質だけを捉えられるようになる。つまり、身軽に考えられるようになる。
僕が禅僧や仏教学者になることはないだろうし、そもそも本書も読みこなせていないので入口にすら立てていないのだろうが、深みのある思想を学ぶという点で、禅はフォローしていくべきテーマだ。
その深淵を少しだけでも覗いてみるには、本書は好適である。