再読。本書は20歳前後で初めて読み、そこから何回か読み直している。
良い本というのは、読み手が持つ問題意識に応じて様々な読み方ができる。だからこそ、良い本は時代を超えて残っていくのだ。「読書について」は分量は多くなく、読み方によっては時間をかけずにすぐに読み終えてしまう本だが、非常に多くの示唆が含まれており、問題意識を持って読めば噛めば噛むほど味が出てくる本でもある。
僕の理解では、この本において著者は一貫して「自分の頭で考えたことこそが最上」であり、「他人が考えたことを自分の頭に取り込むこと」は(世間一般では賢明になる上で有効な方法だと考えられているが)実は本当の意味で知性を磨いていることにはならない、と主張している。
この、シンプルだが重要なポイントを思い出させてくれることこそが、僕がこの本を繰り返し読む理由だ。「読書について」というタイトルであり、「読書とは他人にものを考えてもらうことである」というフレーズが有名だが、実は本書は読書活動だけでなく、知性全般について語っている本である。
読書を通じて、他人が考えたことや発見したことを知ることを通じて、自分の知性を磨いていくことは重要だ。どんなに優れた才を持った人間でも、インプットゼロで高いレベルの知的生産活動を行うことは難しく、その点はショーペンハウエルも本書で指摘している。
しかしながら、読書やその他インプットに勤しんでいると、インプットそのものが自己目的化してしまう。自分の知性や思考力を磨くためにインプットをしていたはずなのに、いつの間にか他人の考えたことで頭がいっぱいになり、自分の思考が弾力性を失ってしまう。こういったことがよく起きてしまう。
仕事や日常生活で何か問題が起きた時、ついつい「他人が考えた答え」を求めてしまうことが、誰にでもあるのではないか(ググって問題解決しようとするのはその典型だ)。シンプルな問題や形式的に解決可能な問題であれば、それでも構わないだろう。先人の知恵を大いに生かすべきである。
一方で、問題のレベルが上がってくるとそうはいかなくなってくる。難しい問題は、一般的な解はなく、置かれている文脈によって解が変わってくるからだ。ピッタリ当てはまる答えなどなく、自分の頭で考え、意思決定するしかない。コンサル的に言えば、「仮説を持つ」必要がある。リサーチからは本質的な解決策は出てこない。
本書を読んでも、「効率的な読書の方法」や「思考力を高めるためのノウハウ」は出てこない。その意味で、即効性のある本ではない。
ショーペンハウエルから学ぶべきは、知性を磨く上で基本となるそのスタンスである。知性を高めるための飛び道具はないのだ。自分で考えることを最上に置く --- このことをいつも忘れずに、徹底することができるかどうかで、5年後、10年後の知性が大きく変わってくると、僕は考えている。