約50年前に書かれ、約30年前に邦訳された経営学の古典的名著。最新の学説が次々と発表され、分析手法が日進月歩する経営学という領域で、これほど古いテクストを読む意味がどれほどあるのかと穿った気持ちを半分持っていたが、一読してその気持ちは一変した。やはり名著は本質を突いており、現在においても大きな価値がある。
本書は著者のミンツバーグが5人の経営者を観察し、日々の行動を記述することでマネジャーの仕事の実態をとことん把握しようとしている内容。ちなみに、日本では「マネジャー」というとそれほど職位が高くない中間管理職を指すケースが多いが、本書では「マネジャー」は組織やその構成単位を任されている人と定義されており、職位の高低は限定されていない。
本書の何よりも特徴的な点は、マネジャーの仕事について特定の要素を捨象することなく総体として捉え、記述することに徹している点である。結果として、統合的にマネジャーの仕事を捉え、その課題や改善に向けた示唆を示すことができており、本書の目的(そもそも経営学はマネジャーの仕事をわかってないので、そこを明らかにする)を達成できている。
その裏にあるのは、ミンツバーグの「マネジャーの仕事には科学的法則性が存在」せず「今でもマネジメントはアートであって科学ではない」という信念と、そこから派生する独特なアプローチであり、全体を通じてこういった考え方が本書を支えている。ミンツバーグは「経営はアートである」という考えを持っているが故に、分析・分化主義的なアプローチには過度な信用を置かず、統合的・総合的なアプローチを重視しており、分析・分化的なアプローチが多くみられる経営学書の中で異彩を放つ。
どうしてもサイエンス的なアプローチに支配されがちな経営やビジネスという領域において、本書のような別の観点を提示する本を読むことで、それが全てではないということを肌感覚で理解しておくことは非常に重要だ。
サイエンス的なアプローチには、データが必要となる。然しながら、世界は全てがデータとして記述されているわけではない(本書が執筆された1970年代はもちろんのこと、現代ですらそこまでは全く至っていない)。それにも関わらず、データ化できているものだけに目を向けるということは、当然ながら全体像が見えていなかったり、それ故に本質を掴み損ねることに繋がるということだ。
「本質を掴むためにデータを分析する」ことと、「データ化できている中から何かを無理に見出そうとする」ことは似て非なる行為であるが、ビジネスの現場でもこういったことが往々にして発生してしまう。
さらに言えば、仮にある領域について全ての活動がデータ化されたとしても、それだけで当該領域について全てがわかったことになるのかは疑問である。データという個別要素を単に積み上げたものが全体とイコールになるわけではなく、個別要素が相互に影響しあって様々なバランスの上に全体が成立しているはずだ。
本書を読むと、「マネジャーの仕事」という非常にわかりやすいテーマをきっかけに、そんなポイントを思い出させてくれる。
ついつい科学的分析に全幅の信頼を置きたくなってしまう我々のカウンターバランスとして、この素晴らしい本をぜひ手に取ってみることをお勧めする。