室町時代の猿楽師である世阿弥が書いた能楽論。500年以上前に書かれた本だが、本質を語っているが故に不思議と古さは感じない。
全体を通して語られているのは、世阿弥による演劇論なのだが、その中核にあるのは「花」という概念だ。能において、観る者をを感動させるパフォーマンスを「花」という言葉で表している。現代の僕らが使う「あの人は花がある」とも通ずるような表現だ。
「花」は即興的なものであるため、それを示せるかどうかは演者の実力だけでなく、その場の環境や観客の状態にも左右される。こうやればこういう結果が出るという形で、サイエンス的に一定のパフォーマンスを生み出すことはできないのだが、世阿弥によると「たまたま花が出せる」のはまだまだで、真の演者は「狙って花を出すことができる」という。
環境はその時々によって異なるので、真の演者は常日頃から練習を重ねて引き出しを増やしておき、タイミングを合わせてその場にベストな引き出しを開けてピタッと合うパフォーマンスをすることで、花を引き出せるのである。そのため、真の演者となるためには、まずもって自分の出している花の存在を認識した上で、それが「たまたま出せた」ものなのか、それとも「狙って出せたものなのか」をメタ認知できる必要がある。メタ認知できないと、自分のパフォーマンスに対して「なぜ花を出せたのか/出さなかったのか」振り返ることができず、成長のサイクルを回していかないからだ。
このように世阿弥の言葉を読んでいくと、非常に普遍的な話だとわかってくる。能に限らず、スポーツ、芸術、そしてビジネスに至るまで、巧者は能における「真の演者」と同じメカニズムでパフォーマンスを発揮し、成長していっている。
他にも、一日の中や一定期間の中でも緩急をつけることで花を作ることの重要性や、独り善がりな芸ではならず、マーケットニーズをつかむ必要がある一方で、マーケットのことだけを考えてもいけないといった点まで、非常に実践的な内容だ。
やはり時代に関わらず、卓越した人が見通していた世界を学ぶことには大きな価値があると思わせてくれる一冊だ。普段は実学本しか読まない方にこそお勧めしたい。