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学びの集積

0023冊:ゆかいな仏教(橋爪大三郎/大澤真幸著、知的生きかた文庫)

ゆかいな仏教 橋爪 大三郎(著/文) - 三笠書房

以前に大変話題となった「ふしぎなキリスト教」と同じコンビかつ同じ形式で、仏教について簡単な疑問から出発して掘り下げていく内容。大澤真幸さんが聞き手となり疑問をぶつけ、橋爪大三郎さんがそれに答えていきます。

読んでいて楽しい。それでいてしっかり仏教について知る一歩になっている。そんな素晴らしさを両立している本です。

なぜその2つが両立できているかというと、何よりも対談しているお二人が対話そのものを楽しんでいる、そしてその楽しんでいる様子が読んでいるこちらにも伝わってくるからだと思います。知的対話というものは、対話するもの同士のレベルが接近していて、かつ両者の関心のベクトルが一致している際に大変な楽しさを生み出すと私は考えています。そして、そういった対話は聞き手にも楽しさや興奮を伝播し、面白さを感じられるようになります。仏教には興味があるが、小難しい本を読んだもイマイチわからないと感じている方にはおすすめの本です。

また、僕がこの本を読んで感じたことは、自分が「当然だ」と思っていることが、いかにキリスト教的(一神教的)考え方に染まっているかということです。僕はクリスチャンではなく、またキリスト教を専門的に学んだわけでもありません。それどころか、キリスト教のことはほとんど知らないと言えるくらいです。

それでも、本書でも指摘されている通り、資本主義や民主主義、人権といった現代社会の制度全般を通じて、キリスト教的考え方が自分の「当たり前」を作り上げている。今まで意識できていなかったですが、仏教の考え方に触れることで自分の当たり前が相対化されて初めて、そういったことに気づくことができました。

加えて、仏教がいかに哲学的に洗練されたなのかということに気づけたことも大きな収穫です。これまで西洋哲学の本は(全くのシロートとして、ですが)読んできましたが、恥ずかしながら仏教を含む東洋哲学には魅力を覚えつつも取っ掛かりが掴めずにいました(井筒俊彦さんに憧れがあるので、東洋哲学を学んでみたいなという気は持っていたのですが)。本書を読んで、仏教というものが如何に思考をその教えにおいて上位のものとして扱い、透徹した理論を構築してきたのかということをほんの触りだけでも感じることができ、ようやく理解の一歩を踏み出そうという気持ちを持てるようになりました。

中村元さんの著者をいくつか仕入れましたので、この勢いでもう少し理解を高めていきたいと思います。