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学びの集積

0024冊:独学術(白取春彦著、ディスカヴァー携書)

独学術 白取 春彦(著) - ディスカヴァー・トゥエンティワン

超訳ニーチェの言葉」など、哲学・宗教関連の啓蒙書で有名な白取春彦さんが独学について書いた本。独学の方法について語った本ではなく(一部そういったことも書いてあるが、本書の主題ではない)、独学とはどういうもので、どういった姿勢で独学に臨むべきかという点に力点を置いた本です。独学とはこういうものだ、という著者の考えがバシバシ伝わってきます。

第一章の最初のテーマは「独学は学習ではない」。そして「学習とは低レベルのもの」とくる。冒頭から痺れる言葉です。何かを学ぶというと、何か特定の学習方法やカリキュラムが存在し、それをこなしていくようなイメージをついつい持ってしまう人も多いのではないでしょうか。そういう思い込みがあると、必然的にそういった学びを自分だけで進めていくのが「独学」だと考えてしまいますが、著者はそれは「独学」とは呼ばないと書いています。僕もこの主張は全く正しいと考えていて、わかりやすく言語化されていたので思わず膝を打ちました。

僕の考えでは、本当の独学とは「何を対象とし」「誰を師と置き」「どのように独学を進めていき」「最終的に自分に何を残すか」という、何かを学ぶ営みにおける全ての点で、自分自身で自由に考え、取り組むものです。以前、「加算的学習と乗算的学習 - 乗算的学習のすすめ」というタイトルでも少し書いたのですが、全て自分で設計して学んでいるからこそ、自分なりの知的ネットワークが頭の中に構築され、独自のパースペクティブが得られるということに、独学の意味があると考えます。他者に決められたものを学んでいたら、せっかく独りで学んでいる意味がなくなってしまうのではないでしょうか。

考えてみれば、人はもともと皆独学者だったはずで、そこから効率的に知識を伝え、得る場として学校に近いものが形成されていった。そして僕らは学校で勉強することが当たり前になってしまったので、ついついカリキュラム的なものを想定しがちですが、カリキュラムというものは1つの価値観や視点で膨大な知の世界を切り取って体系化したものであり、本来はそれ以外にも広い世界が広がっています。そういった膨大な知の世界を自分の手で掘り起こしていくことこそが「本来的な学び」であるはずで、カリキュラム的な学習の方が「特殊な学び」とも考えられます。本書はそんなパラダイムを与えてくれる本です。

自分の知的好奇心に従って何かを独りで究めていく活動、つまり独学を後押ししてくれる一冊として、特に学校のカリキュラム的な学習がなんとなく「正統な学習」としてついつい考えてしまう方にお勧めしたい本です。