14世紀から15世紀に生きた人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニが、晩年にブックハンターとしてヨーロッパ各地を巡り、ルクレティウスの「物の本質について」という本を写本し広めたことを契機として、ヨーロッパに住む人々のパラダイムが変化し、科学的な考えに目覚め、近代化が起きたというストーリーを展開している非常にユニークで面白い本。
僕は本書の主人公ともいえるボッジョ・ブラッチョリーニを恥ずかしながら存じ上げなかったのだが、ポッジョは中世イタリアで公証人としてキャリアを開始し、その後教皇庁で働いた上で、最終的には教皇の秘書(教皇庁に勤める人間がキャリアを上り詰めた上で獲得するポジション)を務めた人物である。然し、仕えていたヨハネス23世がコンスタンツ公会議を経て失脚すると、ポッジョは美しい文字で早く正確に写本できるというスキルを活かし、ブックハンターとして各地の修道院を訪ねて古代のラテン語文献を探すようになる。
そんな中で1417年に出会ったのがルクレティウスの「物の本質について」という本である。僕はルクレティウスも、その人が書いた本も全く知らなかったのだが、なんと紀元前に今でいう原子論を説いた本来らしく、現代に生きる我々が常識として受け入れている科学的な考え方と非常に親和性が高い考えが披瀝されているようだ。神学が知の中心をなしていた中世ヨーロッパでは当然認められるような内容ではないが、当時を生きる人たちにとって斬新な視点を提供するルクレティウスの本は、ポッジョとの出会いを起点として徐々に人々の考えを変えていき、その延長に近代の精神が築かれた、というのが本書の主張である。
話の序盤から中盤で中世ヨーロッパの教皇庁の様子が妙にリアルに描かれており、(その部分を資料として読むこと自体もかなり面白いのだが)その閉塞感ややるせなさのリアリティがあるからこそ、ポッジョが「物の本質について」に出会うことで徐々に人々の精神が中世から逸脱していく様子が浮かび上がる。中世と近代とを分かつ明確な出来事を取り上げるのではなく、ルクレティウスという紀元前に生きた人の考えが発掘され(「発掘」という表現は大げさではなく、ポッジョは修道院から1000年以上誰にも見向きをされていなかったルクレティウスの本を掘り当てた)、徐々に新たな視点が広がっていく様子に焦点を当てるのは、著者のとてもユニークかつリアリスト的な歴史観を表している。
僕たちは歴史を振り返る際に、どうしても物語に「抑揚」をつけて理解しやすくしようとしてしまうのではないか。抑揚というのは、この出来事があったから、もしくはこの人が現れたから、歴史が変わった。その日を境として、「それ以前」と「それ以後」は異なる歴史となった、といった考え方のことだ。こうした見方は、もはや直接経験を得ることは不可能な遠い昔の歴史にメリハリをつけることができ、エキサイティングで、非常に魅力的だ。
一方で、自分たちが生きる時代のことを考えればわかる通り、歴史は「少しずつ積みあがっていき、徐々に変化していく」ものである。象徴的な出来事はあるかもしれないが、昨日と今日で急に歴史が変わったなんていうことは、当事者である僕たちにはなかなか感じられない。それがリアルな歴史なのではないかと僕は思う。
本書は、1冊の本が「徐々に物事を変えた」というリアリティある歴史観に基づいて物語が描かれている。読むと非常に説得力があるが、もちろんこれが「唯一の解」なのかというとそんなことはないだろう。近代的な考え方を形作った要素は他にも無数にあったはずだ。ただそれでも、歴史に「抑揚」をつけた見方が世に多く存在する中、「徐々に変わった」という見方の本書を読むことで、その視点から独自の刺激を受け、歴史にはまた違った層があるのだと感じることができるとは思う。その意味で非常におすすめの本だ。