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学びの集積

「武器を身に付ける」こと以上に、「武器の使い方を磨く」ことが重要だ(前編)

ビジネス書やビジネス系の記事を見ていると、ビジネスパーソンのキャリアについて、これからの時代に必要とされるスキルや、そういったスキルの習得方法といった、「武器を身に付ける」ことの重要性が語られていることが多い。言うまでもなく、一定レベル以上のスキルを習得することは、良い仕事をし、そしてキャリアアップしていく上で重要なことだ。その点に全く異論はない。

例えば初歩的なレベルで言うと、多くのビジネスパーソンの場合、財務諸表が読めなければ仕事をしていても早晩頭打ちが来るはずである。財務諸表が読めないということは、お金の流れを理解できないということだ。ビジネスをすると、必ずお金が関係してくる。つまり、お金の流れを理解できないということは、ビジネスがどのように動いているのかが理解できないということに等しい。まだ新人で目の前の作業をこなしているだけなら問題ないかもしれないが、少しでも責任範囲が広がってくれば、自分の仕事が財務諸表のどこに繋がっているのかを理解できている必要が出てくるはずだ。多くの場合、仕事をする上で「財務諸表を読む」スキルはやはり重要と言える。

一方で、こういった「武器」を身に付けるだけで本当に充分なのだろうか。あるいは、より多くの武器、より強い武器を身に付けていれば万事OK、ということなのだろうか。僕の答えはNOである。武器は持っているだけでは意味を為しにくい。武器の使い方も知っている必要があるはずだ。それどころか、タイトルにある通り、僕は「武器を身に付ける」こと以上に、「武器の使い方を磨く」ことの方が重要だと考えている。

仕事において、「武器(=スキル)の使い方」とは何を指すだろうか。このことを考えるには、まず仕事においてパフォーマンスが高い状態を考えてみる必要がある。例えば、あなたの身近にいる、すごく仕事ができて、いつも高いパフォーマンスを出している人のことを考えてみよう。その人は、当然高いスキルを持っているだろう。しかし、仕事あらゆるシーンで、自分のスキルをただただ振りかざしているわけではないはずだ。仕事の流れを見て、ここぞという本当に必要なタイミングで武器を使い、停滞しそうになった仕事を推し進める。もしくはいくつかの武器を見事な順番で使い分け、複雑な課題を解決していく。そんな風に、「ここぞというタイミングで」「適切な武器を取り出し」「適切な組み合わせ/順序で用いる」ことで、高いパフォーマンスに繋げているのではないだろうか。僕の考えでは、これこそが「武器の使い方」だ。

別の言い方をすると、こう表現もできる。仕事のできる人や、何かに熟達している人を思い浮かべ、その人が持つスキルを全て列挙したとする。そのスキルを、別の人が全て身に付けることができたとして、元の「仕事のできる人」と同じパフォーマンスを出すことができるだろうか。スキルの定義にもよるが、おそらく答えはNOだろうと思う。スポーツに例えれば、イチローと同レベルで遠投ができ、足が速く、バットをスピーディかつ正確に振れたとしても(野球に詳しくないので表現が稚拙かもしれないが、実際にプロの選手では、身体能力がイチローと同程度がそれ以上の人も多くいるはずだ)、イチローと同レベルのパフォーマンスが出せるかというと必ずしもそうではない、ということだ。ある人のスキル(武器)を列挙して、取り除いた後に残る「何か」に命名してみると、「武器の使い方」と呼べるのではないかということである。

高いパフォーマンスを出す上で、なぜ「武器の使い方」が重要になるのかというと、前述した通りスキルというものは使うタイミングや、組み合わせ、また順序によって効果が大きく異なるからだ。例えば、あるクライアント企業に渾身の提案を打ち込み、成約に持ち込みたい場合でも、もし前の提案でクライアントの怒りを買ってしまっていたら、自身の「提案力」や「専門性」をいくら見せつけても提案は受け入れてもらえないだろう。その際にまず必要となるのは、「傾聴」や「リカバリー」である。そうして信頼を回復してから、ようやく高い提案力や専門性を聞き入れてもらえるようになる。この例は非常にわかりやすいが、実際の仕事では日々の微妙な流れや変化を感じ取り、どの武器をどの程度使って、またどのように組み合わせて使うかが求められるわけで、そういった流れや変化は表面的には非常に見極めにくく、またどの武器が適切なのかという点でも正解が掴みにくい。然しながら、仕事で高いパフォーマンスを出すためには間違いなく重要な力であるはずだ。

「武器の使い方」は重要な力であるにも関わらず、なぜだかあまり取り上げられることがないように思える。フォーカスされるのはいつも「身に付けるべき武器」や「武器の身に付け方」であり、あとはいいタイミングでうまく武器を使ってください、という感じだ。「武器の使い方」は何故フューチャーされにくいのか。その理由は、おそらく「武器の使い方は見えにくい力であり、見えにくいが故に力の磨き方も明確に表しにくい」からだ。要は「わかりにくいし鍛えにくいから置いておきましょう」ということである。

武器の使い方が端に置いておかれることで、「身に付けている武器」が唯一の勝負ポイントと勘違いされやすくなる。つまり、より強い武器を身に付けているかどうかでパフォーマンスが決まる、と考えられてしまうということだ。そうすると、妙に資格を沢山取ろうとしたり、最新の武器をスクールに通って習得したりするようになってくる。これは様々な意味でつらい競争だ。まず、武器は強くすればするほど、限界効用が少なくなってくる。加えて、常に他人と同じ競争軸で勝負する必要が出てくるので、競争から降りられなくなってしまう。更に言えば、基本的により多くの経験や知識を持っている方が強いということになるので、言い方は悪いが「課金ゲーム」に陥る可能性がある(多くの経験や知識は、お金をかけると習得が容易になる)。

僕たちは、本当は「武器の使い方」という要素ももっと考慮に入れるべきだ。「武器の使い方」という力は、確かにわかりにくい。しかしそれでも、僕は着実な鍛え方はあると考えている。そして素晴らしいことに、「武器の使い方」は「身に付けている武器をより強くしていく」考え方では不可避な「つらい競争」に陥らない可能性が高い。

後編では、「武器の使い方」をどう磨くのかを説明する。