本書をひと言で表すなら、神保町マニアによる神保町マニアのための本だ。おそらく一度も神保町を訪れたことのない人は、この本をなかなか楽しめないだろう。こんな小さな街の歴史が詳細に書いてある本の何が楽しいのかと。しかし神保町に幾度か訪れたことのある人であれば、この本は驚きと楽しさを持って迎えられる。神保町という街の不思議はこのように形成されてきたのか、あの店にはそんな背景があったのかと、ページを捲るごとに発見があるはずだ。そして、神保町に百や二百ではきかないくらい、足繁く通い詰めている人にとっては、これほど面白く読める本はない。僕もその1人である。
最近は行楽スポットとして神保町の人気が高まってきているようで、神保町とその周辺に焦点を当てた雑誌をよく見かける。そういった特集は、写真付きで様々なスポットが紹介され、魅力が引き出されており、読んでいて楽しい。本書ももちろん神保町に焦点を当てた本だが、写真付きの紹介雑誌に似た期待を寄せてしまうと、大きく裏切られることになる。「何故こんな古書街が形成されたのか」という素朴な疑問に答えるため、縦横無尽に資料を引き、圧倒的な情報量でこれでもかと読者を満足させにかかっているのが本書であり、世に出ている「神保町関連本」とは一線を画す本だ。
神保町の魅力は数え切れないくらいあるが、その重要な一つの要素は、あの街が放っている独特の文化だ。街の形は意図的に作ることはできても、街の文化は狙って形成できるものではない。神保町は「造られた街」ではなく、「自然発生的に起った街」であるという直観的な確信が僕の中にあった。一方で、意図せずに自然と、あれほどの古書店が1か所に集結することがあるのだろうか。普通には起き得ないことだろう。神保町に対しては、こういった相反する感覚を僕は長年抱いていた。
然し本書を読んで、ようやく僕は納得できた。なるほど確かに、神保町は自然発生的に起った街である。然しながら、やはり単に野原を放置しておいて起こってくるものではなかった。あの地に集結した大学群やそれらに影響した政府の方針、大学群が集まることで発生した人の流れ、そして時代が大きく移り変わり和書から洋装本へと移り変わった時期等、非常に多くの要素が長年に亘り作用し、1つの街で集中交差することで、特殊な磁場が作り出され、あれだけの街が作り出される力学が働いたのだ。
本書を読むと、神保町という街の文化の厚みを存分に感じることができるが、それ以上に、これだけ複雑な力学が働いてきた神保町という街を、ありとあらゆる角度から解きほぐしていき、丁寧に資料にあたった上で、1つの論考としてまとめあげた著者の鹿島茂さんは本当にすごい(もちろん僕がこんなことを言うまでもなくスゴイ方なのだが)。「教養」を「一人で暇を楽しめる力が」と定義する話を聞いたことがあるが、神保町という、ごく身近にある街を題材にここまで面白さを引き出せるのは、まさしく教養のレベルが段違いだということだ。自分の内側を充実させることは、外の世界をもより一層充実させるということがよくわかる。
全ての本好き、そしれ神保町マニアにおすすめ。文庫とは思えない厚みに圧倒されることなく、まずは買ってページをめくっていくと、どんどん面白くなってくる本だ。