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学びの集積

0052冊:力と交換様式(著:柄谷行人、岩波書店)

力と交換様式 柄谷 行人(著/文) - 岩波書店

2022年10月初版の柄谷行人氏による最新の著作。「交換様式」を軸に、マルクス、フロイト、ヘーゲル、カントといった哲学界の巨人の考えを参照しながら、縦横無尽に世界を読み解く内容で、知的好奇心を刺激される力作だ。

僕の理解では、本書を理解するためには3つのコンセプトを押さえておく必要がある。それは、①交換様式、②(見えない)力、③反復(回帰・回復もほぼ同義)、の3つである。

1つ目の交換様式については、本書に通底する重要なコンセプトであり、著者からはA・B・C・Dという4つの交換様式が示されている。それぞれについて様々な特徴が示されているが、大雑把に書くと以下の通りだ。

  • 交換様式A:贈与と返礼という互酬交換。交換する主体はそれぞれ平等(マルセル・モースやレヴィ・ストロースが研究)
  • 交換様式B:支配する側が安全保障を与え、支配される側がその代わりに資産や労働を提供する。国家社会が代表的な例(トマス・ホッブスが研究)
  • 交換様式C:各主体が貨幣を通じ商品を交換する。資本主義社会における交換(カール・マルクスが研究)
  • 交換様式D:交換様式Aの高次元での回復。まだ社会形態としては実現していない(過去に複数の思想家が触れてきてはいるが、柄谷行人氏が自身の思想で明確化した)

ここで押さえておくべきなのは、社会はどれか1つの交換様式のみで構成されているわけではない、ということだ。複数の交換様式の組み合わせで社会は構成されている。例えば、現代日本は交換様式Cが力を持ってきており、反対に交換様式AやBは徐々に力を落としてきていると考えられる。

カール・マルクスは「資本論」において、「経済的な下部構造が上位構造を決定する」という考え方を提示した。マルクスの言う「経済的な下部構造」とは、「生産様式」を指しており、これはつまり経済的にどのように商品が生産されるかということが、「上部構造」である人間の精神活動を規定する、ということである。

柄谷氏はこの考え方に反対はせず、本書で更に一段上の考えを示した。すなわち、「経済的な下部構造」には「生産様式」だけではなく、「交換様式」も含まれるはずであり、むしろ「交換様式」の方が上部構造を規定する際に重要な役割を果たしているという考えである。交換様式A-Dに応じて、人間の精神活動も変化するということだ。

1点目と密接にかかわるコンセプトとして、本書のタイトルにも掲げられている「力」という言葉がある。この「力」という言葉をあえて補足してみると、僕の理解では「(見えないが強く作用する)力」と書くことができる。

例えば、交換様式Aは贈与と返礼(互酬交換システム)が行われる。部族社会において現在も見られる風習とされており、かつてはマルセル・モースやレヴィ・ストロースがこのシステムに注目し、研究した。何故互酬交換が行われるのかを考えてみると、その社会に生きる人たちが非常に良心的だから行われているのではない(もちろん、良心的な人はたくさんいるだろうが、他の社会にも良心的な人はいるはずだ)。互酬交換をしている人たちは、互酬交換を「せざるを得ない」から実施しているのだ。

この、「せざるを得ない」を実現しているのが「力」である。交換様式Bでも、支配者/被支配者の交換は「せざるを得ない」。この裏にある力を分析したのがトマス・ホッブスであり、彼は「リヴァイアサン」においてそれを語った。交換様式Cでも、人々は商品交換を「せざるを得ない」。この裏にある力を分析したのがカール・マルクスであり、それが語られたのはもちろん「資本論」である。

果たして、こういった「(見えない)力」を真面目に捉えて良いのだろうか、という疑問は当然起こる。現に、マルセル・モースが著書で部族社会の精霊の力によって交換が行われていることを指摘したところ、当時は「非科学的」だと言って批判が起きたそうである。

この点における著者の指摘は非常に明快で、実際に作用しているにも関わらず、その存在を捉えない方が非科学的であるというものだ。僕も、この世には見えないが作用する力というのは、交換様式に紐づくもの以外にも多く存在すると思うし、むしろそういった見えない力を限りなく顕在化させていくのが科学だと考えているので、著者の考えに同意だ。

そして3つ目のコンセプトが「反復」である。回帰、回復といった言葉もほぼ同義だ。

交換様式BやCが優勢となった社会において、交換様式Aの要素を回復したいと思うのは自然なことと言える。国家による支配が存在したり、あらゆるものが貨幣で商品交換可能な社会に生きる人々が、各人の平等をベースとした「互酬」や「互助」の要素を社会に取り入れたいという動きは、私たちの周りにも常に存在する。

然し、単に交換様式Aが優勢な社会を実現することは難しい。仮に実現できたとしても、ある意味で後退が起きるだけであり、その後にまた交換様式BやCが優勢な社会が興るわけであり、根本的な解決にはなりにくい。

そこで、本書においては交換様式Dという、交換様式Aを高次元で回復するコンセプトが示されている。決して、交換様式Dの「実現」ではないことに注意が必要だ。あくまで「回復」である。

「回復」や「反復」「回帰」という言葉に含まれているのは、人々が無意識的に交換様式Aを求めることで、交換様式BやCを揚棄して交換様式Dが現れる、というニュアンスだ。本書ではフロイトの理論にも言及し、「回復」がどういうメカニズムで発生するのかが緻密に説明されている。

本書を読んで強く感じるのは、柄谷行人氏は本物の思想を歴史に刻み、人間の思想のボーダーを押し広げる「思想家」だということだ。ショーペンハウエルは、自らの考えを紡げる者を思想家、他社の考えを研究する者を学者として区別しているが、著者は間違いなく前者である。